vol.6 「解心」詳細ページ
※こちらのページはネタバレを含みます。
ここでご覧になったことは、ネタバレを知りたくない他の鑑賞者様のため、
SNS等での発信、会場その他外部での口外
は、なさらないようご配慮をお願いいたします。
■本ページの趣旨
演劇を鑑賞するとき、映画やその他メディアに比べ事前情報が少なく、
「自身に合う作品か自分で判断出来ない」と言ったことが少なからず起こっているようです。
今回はそんな鑑賞への敷居を下げるため、事前に作品の情報を公開するという形を取ります。
全ての情報が載っているわけでは無く、断片的な部分もありますが、
ご鑑賞をご検討の方で、作品の内容を少しでも知っておきたいという方は、閲覧をお勧めいたします。
尚、こちらの情報は随時更新されていきます。
はじめに
本作の大きなテーマは、 「ブラックボックスで何が出来るか」 「再演で何が出来るか」 である。 今回焦点が当たっているのは「別個体である他人と会話を続けること」という部分であり、2021年の初演版とは脚本の言葉遣いがかなり変わっている(構成変わらず、口語が増えている)。 また、世界平和書店の大きな特徴であるフィクショナルな世界観は今作でも色濃くでており、その根拠は 「ここでは無いどこかで起こったことが自分の身に覚えがあることだと分かった瞬間、急に身近に見える効果を狙う」 「人間の普遍的な苦悩や苦痛を扱うため、特定の地域や文化という別の要素が入り過ぎないよう、ここにしかない世界を作る」 である。 地獄など強いワードが並んでいるが、結局他者との会話とコミュニケーションの話である。
世界観やあらすじ
■作品のあらすじについて 脚本に明記されたことから、それをどう汲み取って演出に反映しているかを記述しています。 ■世界観 十王信仰(亡者が7日ごとに十人の王に審判を受ける)に根差している地獄 それ以外の作中で明記された以外のことは曖昧な世界。 ■登場人物 閻魔王…地獄の五つ目の門を守る王。俗にいう「閻魔大王」 三途の川の舟守…亡者が死んでから七日目に辿り着く川で、舟を渡している。 この世とあの世の境目。ちなみに三途の川を舟で渡るのは俗説。 ※作中では彼らの性別を指定する文言は存在しない。 <大まかなあらすじ> 繰り返される審判に疑問や苦痛を感じている閻魔王。 自分の行っている審判に意味があるのか、それぞれの亡者に対し、向き合い、会話を重ねてきたが、白と黒という絶対の判決を下すだけの自分には亡者のその後を知るすべは無く、重圧に耐えきれなくなり遂に法廷を飛び出してしまう。 辿り着いた先は悠々と流れる三途の川。先の見通せぬ靄の中、どこに行くのかわからない穏やかな流れに閻魔王は安寧を感じる。 三途の川で舟を渡す日々を送っていた舟守は、ある日河原にやってきた閻魔王に一方的に言葉を投げかけられ続ける。舟守という役割をただ黙々と続けてきた彼にとって、突如として現れた大きな変化だった。 舟守の変わらない日常の中にやってきては帰っていく閻魔王は様々な話をする。その言葉に感化されたのか、彼らは次第に言葉を交わすようになっていく。 「過程」を大切に、相手のバックグラウンドを想像する閻魔王、「結果」を重視し二項対立の答えを求める舟守、噛み合わないながらも、彼らの会話は続き、次第に距離を深め、縮めていく。 かと思いきや、その心地良い距離感は突如として終わりを告げてしまう。 法廷で対峙した彼らは、お互いの分かり合えない感覚をぶつけ合い、彼らなりの答えを見つけ出す。 <演出の汲み取り> ・地獄→あるのかないのか不明瞭な場所。転じて、どこにでもある場所。 作中で明記されたこと以外は曖昧 →そこで明記されたことは確実なこと →そこで起こった事だけが真実 ・会話を重視している。会話に基づくコミュニケーションだけが彼らの真実である。
テーマやキーワード
■テーマ 「溝」…人間が他人であるからこそ分かり合えない、感覚や言語などのこと 「言葉は借り物」…私達には言語がある。が、明確に認識を共有できることもあれば、(特に個々人の感覚については)それぞれの認識によってカバーする範囲が変わっていったり、使い方に個人差があることによって結局のところ完全に理解することは出来ないことがほとんどである。つまるところ言葉は意味や認識の入れ物でしかなく、空っぽで借り物である。 ■脚本中の大きな要素について ・賽の河原の石積…親より先に死んだこどもが受ける小石の塔を作る刑。完成する前に鬼が壊してしまい、刑が終わることは無い(親より先に死んだことを覆すことは出来ないため、罪を償うことが出来ない)。 一説には、地蔵菩薩がやってきて河原の子供たちを救う、とあり、その地蔵菩薩は閻魔王だとも言われている。 転じて、「無駄」「徒労」という意味で使われ、本作では石積→「亡者との無駄な会話」とされている。 ・三途の川…あの世とこの世の境目を流れる川。転じて、どちらつかずであること。 元々人間であった閻魔王は、今作では白や黒という判決を下すことに苦痛を感じる性質を持っている。そのため、曖昧な世界に惹かれる。 その他のキーワード ・過程と結果 ・現代的と前時代的 ・個人主義 ■脚本の構成 法廷での閻魔王の苦悩の独白→河原での舟守との邂逅→舟守の独白(法廷で空る言葉)→河原→舟守の独白… と続いていく。大きくは二人のシーンから舟守の独白の繰り返しであり、序と壱~漆(しち)までのシーンで構成されている。7日間かけて亡者がそれぞれの王の審判へやってくることと準えられている。
舞台装置について
■大きなシーン分け ・法廷/閻魔王の独白 ・河原 ・川 ・舟守の独白 ■配置した装置 ・河原を表す砂利 →センターにライン上に引き、それを閻魔王と舟守の溝として機能させる。それが崩れたり見えたりしながら進んでいく。おはじきロードと命名されている ・実在と不在 →見えないもの、存在しないもの、脚本に登場しないもの、が黒。ブラックボックスの黒。 →脚本に登場するものが白。(人間も実在なので白) ・桟橋と舟 手前と奥に存在し、白い木の棒で表現されている。 桟橋にはロープがかかっており、舟守のルーティンワークとして扱われる。 舟のギミックは初演から変わらず、照明で作られる。
衣装・ヘアメイクについて
■衣装のキーワードとイメージ どちらにも共通するもの →白 →昔の喪服、ブラックボックス(何もない空間)に対しての実在としての色 <閻魔王> ・シンメトリー ・法服(裁判官) ・性別を感じ過ぎない ・日本的すぎない ・地蔵菩薩でありたい 最強の中間管理職。作中に豪奢な、という記載があるが、貴族などではなく公正な立場のきっちりした人間であるという印象。 また、地獄ではあるが日本的なバックグラウンドが重要と言うわけでは無く、会話から起こる苦悩、という観点で人間の普遍的な問題を描くために日本的過ぎないように注力している。 <舟守> ・アシンメトリー ・船頭(西洋も含む) ・現代的 ・見た目に頓着しない 閻魔王と対比するが、貴族・貧民的な視点にはならないようにしている。彼らは「別個体の人間」であって、上下関係があるわけではないからだ。 また、作中に彼のおいたちの独白があり、彼が私たちと近い現代に生きていたことが分かる。彼の服はワイシャツと同じ生地で作られている。
音・音響について
■音 今作では「靄」という登場人物がおり、実際には脚本には登場しないが作品の環境(=河原に立ち込める靄)を司っている。 それは石を積む子供であり、河原を歩く亡者であり、川の音であり、河原に居る二人の影ともなる。 また、作中で登場するのは、 ・川が流れる音 ・石を積む音、石が崩れる音 ・閻魔王の服から発される不快な金属音 である。石を積む音と金属音はリアルに舞台上で鳴る音だが、川の音は人の声で作成されている。これは、この作品が人の会話(主に声、言葉のやり取り)で成り立っていること、人の営みであることに起因しており、また人の声で環境音を作ることで出来るちょっとした違和感が作品に影響を与えることを狙ってである。 ■音響 ・舞台上の音のフィクション/ノンフィクションの強調 →靄の出す石積の音や声のコントロール。 ・川の音のコントロール